そろそろ、終活を始めようと思います

大学時代の先輩に会いに福島へ行ってきた。

先輩に会うのは東日本大震災の福島での復興支援活動以来で、その時は支援活動で疲れていたせいか先輩との会話はあまり覚えていない。

 

大学時代に先輩とはバイト先が同じで、バイトが終わってからよく飲みに行った。先輩はパチンコが好きで、バイト代を全部使いきることもあったので電気を止められることはしゅっちゅうだった。Xmasに電気を止められ、ファンヒーターが使えない暗く寒い部屋で、蝋燭の灯りの中で飲んだこともあった。「 世の中は生きるのは大変だけど、人生は気楽に考えれば楽しいもんだ」蝋燭の灯りに照らされ笑う先輩を見て、この人は大丈夫か?と思った。

 

「大丈夫!明日もなんとかなるさ!」そんなところに惹かれたのかもしれない。

 

先輩は福島駅まで迎えに来てくれた。白髪の多い髪をクシャクシャしながら、「おぅ!よく来たな」と出迎えてくれた。飯坂温泉街の温泉宿を予約してくれていた。先輩はバツイチで両親は他界し、20年同棲している彼女がいる。離婚した時に、もう仕事を頑張るのはやめようと決意し転職したが、彼女の父が倒れたのをきっかけにコンビニの雇われ店長(彼女の両親がオーナー)となった。俺はひとりだから、そこそこに食べて行ければいいんだよ!と笑う。年収は250万程度。競馬やパチンコが趣味。そして凄いヘビースモーカーで、一晩で一箱半(30本)は吸ったと思う。おかげで浴衣がタバコ臭くなった。

 

突然、訪れた私に病気でもしているのか?と先輩は聞いてきたが、私は至って健康。 幸いに大病も患わずこれまで健康に生きてきたが、50代ともなれば流石にそうはいかないだろう。病気になって見舞いとかで会うのは嫌だから、健康なうちに会いに来たのが理由。

 

私は人生60年と考えている。

60歳を過ぎれば体力も衰え、ボロボロの身体で病と闘いながら仕事をするだろう。二人の子供たちが、しっかり働いて自立してくれることが願いで、自立したら私の役目は終わりだと思っている。役目を終えてから病を抱えボケて徘徊し、生きて家族に迷惑をかけるようなことはしたくない。それに家を出た子供たちに、家や墓の管理とか面倒はかけたくない。最近、夫婦で葬儀の会員になり葬儀費用の積立をしている。エンディングノートには葬儀は宇宙葬とし、遺骨はロケットで宇宙に打ち上げて欲しいと記している。 アメリカで打ち上げるので、ついでに観光でもしてくれると嬉しい。60歳を過ぎて健康で生きていたら、それは人生のオマケだと思う。痴呆や病で周囲に負担や迷惑をかけるのであれば、自分で人生を終わらせるのも悪くはない。悔いなく過ごし、良い思い出だけを残し命を絶つのもいいと思う。(いじめとかの自殺は、やり残したことがあるので反対)私の残りの命を、闘病する子供たちへ譲ることができたらどんなにいいだろうと思う。

 

そんな私の話を先輩は呆れて聞いていた。そして、俺はまだまだ好きな事をするし、やりたいことは沢山ある!と言った。どうやら年金も支払っていないようで、独り身だから財産は残す必要もなく、70歳を過ぎたら生保受給者にでもなるか、生保受給者になれなければ長期服役できるように銀行強盗でもしようと思うと冗談?本気?そんな顔で話した。先輩と私の話のやりとりは、なんだかちょっとした高鬱と低鬱の患者の会話みたいだなと思った。

 

翌日、先輩と彼女は福島駅まで見送ってくれた。

先輩も私も至って健康だけれど、もう、会うことはないだろうな・・・

今生の別れのような気持ちで手を振った。

 40代~50代は自殺者が多いっていうけど、それなのかな・・・

 自分では気づかないうちに、鬱になっているのかもしれない。

 

私の人生は60年。

そう思うと何故か気が楽になる。