表現の不自由展は、表現の自由に対して無責任

表現の不自由展について議論されています。

実際に観ていないので不自由展の展示内容はわかりません。

しかし、平和の少女像のような外交問題とされていること、

昭和天皇の遺影を焼くこと、特攻隊を揶揄するようなことが

アートといえるのかどうか・・・

 

そもそも、現在の社会の中で、表現の自由として認められないもの、疑問とされるもの、そういう作品をアートとして、アート=表現の自由として認めろ!その主張は無理なんじゃないかな?と思うのです。

 

表現の自由を守れ!

だからといって、現代の社会で表現として認められないものまで認めるべき!

その主張がまかりとおるのであれば、

児ポルノアートも表現の自由(アート)

白人主義者による人種差別的な表現(アート)

性差別的表現(アート)

表現の自由とアートだど叫べばいい。

 表現として認められないことを不自由と感じる。

ならば、ヘイトも表現の自由として認め、罰するべきではありません。

 

マスコミも「○○の自由」とかよく主張しますが、

報道できない映像もあるはずです。

我々には知る権利があります。

東日本大震災津波に飲み込まれる犠牲者の画像や映像を

表現の自由として、我々の知る権利として特集番組を組んだら?

東日本大震災では津波に流される遺体や犠牲者は画像処理され放送されています。

そうした画像や映像は多くあり、それを報道するかどうかは放送倫理に基づいています。それを報道の表現の不自由展として開催したら?

 

「自由」には必ず責任が伴います。

 

なぜ、表現が認められなかったのか・・・

なぜ、展示が中止となったのか・・・

表現の不自由展はアートを侮辱し、

表現の自由に対する無責任な行為だと感じています。

実行委員会は、今回の騒動に対しどう責任をとるのでしょうか?

問題提起だけして、知らん顔では無責任です。